2023Sシラバス
53/393

大学では「問い」の「答え」を探求する前にまず「問い」自体を自分で見つける必要があるという点を理解し、学ぶ姿勢の根本的な転換を目指す。授業を通じて「問い」の立て方、「理論」についての考え方、「研究方法」の設定の仕方、学術資料の収集の仕方、議論の根拠の導き方、論述の組み立て方などのアカデミックスキルに触れ、それらを習得する。また、自分が取り組む「問い」が学術的・社会的に意義のある「問い」であることを主張する必要性を理解する。 「問い」の「答え」を導くに当たって必要な、先行研究の理解とオリジナリティの主張の方法(剽窃の防止を含む)、議論と根拠の関係などといったより基礎的な作法および図書館などの研究リソースの利用方法を、第2回の合同授業で学ぶ。 【この授業の目標・概要】 入学おめでとう。新たな学びに胸ふくらませているときに、もうおさらばしたはずの国語の教科書(それも現国や古文ではなく漢文!)だなんて、なんと無粋なと思うだろうが、それは話のきっかけにすぎず、別に漢文の授業をするわけではないから安心してほしい。 高校には国語という教科があり、大学には文学部というところがある。両者はなんとなく似ているようであり、文学部(あるいは教養学部の関連領域)には、高校で国語が好きだったという理由で進学する人も多いようだ。結構である。ただ、大学まで来て高校と同じことをするのも芸のない話だし、一方で進学してから「思ってたのと違う」というようなことは、できれば避けたい。 教科書には、特に古典の場合は丁寧に注がついていて、漢文では返り点や送り仮名によって読み方が指示されている。しかしもとの古典にそんなものはないのであって、後期課程に進学すれば、白文をすらすらと読む先輩が神に見えたりするが、神ならぬ人の作った言語であって、読解の技は別の機会に伝授しよう。 どの教科でもそうだが、教科書はオリジナルの資料ではなく、編者が自らの見識によって、学習者のために作り直したものなのである。従って、同じ作品でも教科書によって異なる場合は時にある。それはどれかが正しく他は間違いというような単純なものではなく、学界においても見解が分かれているところなのである。 そうとわかれば、教科書とはもうおさらばして、それぞれの説を主張する論文を読んでみよう。どの説が正しいかを決めるのは、直接の目標ではない。論文と感想文はどう違うのか、文学を研究するとはどういうことなのかといったことを考えるのが、第一の目標である。そして、そこから得たものをふまえて自ら資料を集めて考え―それは既に研究に一歩足を踏み入れたことになる―文章にまとめることが、第二の目標になる。さらに、それを受講者相互で批評することを行いたい。教員に教えられるのでなく、自ら学ぶこと、相互に学び合うことを、態度として身につけてほしいと願うからで、それが第三の、究極の目標である。 【学術分野】国文・漢文学 【授業形態】ディシプリン型と文献批評型の折衷。学生各自のテーマの立て方によって、一つのテキストにがっつり取り組むことも、ひろく文学、言語、国語教育などの諸問題に重点を置いて考えることも可能である。 出席、発表および議論への貢献等の平常点と小論文とで判断する。 もう使わない高校の国語の教科書を、もう一度だけ初年次ゼミナール文科 31748 火 4 授業の目標・概要 【共通目標】 成績評価方法 授業のキーワード 文学、言語、国語、漢文、教育 教科書 ガイダンス 教科書は使用しない。/Will not use textbook 書名 著者(訳者) 出版社 ISBN その他 第1回授業日に行う。ガイダンス教室については掲示板等で告知する。 見直してみるところから始めよう 谷口 洋 国文・漢文学

元のページ  ../index.html#53

このブックを見る